自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ リクルート社訓

この一言葉だけは、 いわゆる生嶋語録ではない。ただリクルートを語るときにはどうしても外せない言葉だ。

これは昭和43 (1968)年、社訓として定められた。この時同時に社是も創られている。「原案は江副浩正で取締役会が承認」との記載がリクル ートの25周年記念誌にある。リクルートの風土を総括しており、長く社員に愛されている言葉である。この社訓のプレートが全社員に配られ、みな机 の上に大事に飾っていた。

これはあまり解説を必要としない言葉である。当時「社員皆経営者主義」という言葉もあったが、それをよりスローガン的に表現している。あなたが自分の主人公なのだと。そしてそれは会社が用意するものでなく、あなた自身が創るものである、と。

創業まもない頃のアルバイトの女性の証言がある。「会社で出かけるピクニックのような行事に入社したてのアルバイトの自分も一緒に参加なので す。それがすごく嬉しいし新鮮だった」と。これは今から50年近く前の「株式会社」においては極めて珍しいやり方と言える。こういう全員参加の考え方が発展して「日替わりスター主義」になり、より積極的には前述の「皆経営者主義」になったわけだ。

さらに関連して言えば、創業者の江副さんは「少数が精鋭を創る主義」というのも折々発言していた。これは言わずもがな「少数精鋭主義」をもじ ったもので、無名に近い会社としてはまだまだ精鋭と呼べる人材の採用は困難だったとしても、入社後の多事多忙の中で人が精鋭化していく、そうな ってほしいという思いがこめられていた。そしてその成長の過程での飛躍へのステップは、自分で創り出してほしいというのが「自ら機会を……」な のである。

受け取りようによっては「あなたを手取り足取り教育することは、この会社ではしない」「自分の力で掴み取れ」というメッセージに聞こえるだろ う。それはある方向へ展開すれば、弱肉強食の競争世界とか教育無き実力主義とか家族的連帯の放棄などへ向かう。そういう意味を感じる人はたじろ ぐ類の言葉だ。ゴールドラッシュに沸くコロラドの金鉱の入り口に掲げられた看板のような趣さえある。

だが多くの社員は素直にこの言葉を愛した。実際に「愛した」という表現がぴったりくるほどの感情でこの言葉を語った。机に掲げた。手帳に書い た。

だがしかし、社外にはこの言葉に素直に反応しない人たちがいた。「経営が社員に責任を押し付けているみたいな感じがする」というような感想が それだ。

(中略)

「これは社員に対して会社が与える、言葉としては全くふさわしくないですな。ある意味経営による社員の能力開発の放棄というか。会社というのはい ろいろな人、いろいろな出来事、いろいろな状況の複合で動いているわけで、個人ひとりが発奮してもいかんともし難い場合が多い。むしろ、「禍福は あざなえる縄の如し」 というべきで、個人ひとりではどうしようもない幸不幸が順番にめぐってくるものです。私もそうでした。それを、自ら・・・と突き放すのはよくありません」

諄々とした諭すようなロ調であったのを思い出す。

これが筆者の耳に強く残った。もともと「皆経営者主義」に対しても中途人社したての頃「人事権も何もない社員がどうして経営者なのか」と食っ てかかった経験のある筆者だから、余計心に残ったのかもしれない。「自ら機会を・・・」の新鮮さやその韻律に好感をもっていたのではあるにしても の「別の発見」だった。

後年、リクルート事件の時に筆者が経営刷新委員長なる仰々しい立場で社是や社訓の見直しに参画したことがある。「社会的規範に照らして」がその時のすべての思考軸になっていた。結果、過去の5社長の発言をずっと抱いたままだった筆者が、この言葉を「社会的標準からは外れた言葉」と断 罪したのである。そして社訓から消えた。このリクルート事件の頃の社内外の状況や社員の心根についてここでは詳しく触れないが、「社名も変えようか」という議論も出るほどであったと言えば少しは伝わろうか。

過去全否定ムードというのは歴史の転換点でよく起こる現象だが、当社もその例を 免れなかったわけだ(ただ会社の商品に対する社会的指弾では無かったという救いはあったが)。

それにしても筆者はなぜこの言葉を捨てたのか。うろたえていただけか。さらにはリクルート社内に一般的でない解釈を提示する卑小な酔いか。今 さらの感慨はさておく。 この言葉は、しかし、そういう動転した決定を乗り越えて生き残った。最初は社員の心の中に。やがては堂々と。社訓であれ何であれ「この言葉が好きだ」という心意気に支えられて。

リクルートでは過去、有名作詞作曲家による「社歌」が何度も作られてきた。派手な発表会もやった。半年ほどは散発的に歌われたりもした。しか しいつしか消えた。正しく社歌として認定されているにもかかわらず、である。

比べて「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」は雑草のごとく生き残った。あえて言えば弾圧を受けてもゆるぎない宗教のように ・・・。

社歌のはかない消え方と、社訓の強い生き残り方が、そのまま社風の表出であろうか。

社訓の言葉自体がある意思をもって「自ら機会を創り出し」、新たに形を変えたリクルートの言葉になった。

これはそう言葉である。

『暗い奴は暗く生きろ』

著者
生嶋 誠士郎
出版社
新風舎/22世紀アート
出版年
2007年