正確に言えば「なぜ人材輩出企業なのか」ではない。これの答えなら、「比較的若くして辞める人が多く、それらの人が一定の資質を生かして産業界を中心にほか様々な分野で活躍しており、それがマスコミなどに取り上げられることが多く、結果として〝人材輩出企業〟といわれるようになった」から。
ではそういう人材を生む源泉は何か。
(中略)
そしてこのテーマを話題にするときおしなべて「まず採用が違う」と多くのOBが言うのもまた事実なのである。なるほど「採用にかけるエネルギーとコスト」は並外れている。
(中略)
採用担当者と筆者とのいくつかの会談、採用者の資質に関する幾度かの話し合いでは「結局、採用以前に彼や彼女が歩んできて身につけたものを後から教育的に変化向上させることはまず無理。可能だとしてもエネルギーがかかり過ぎる。従って採用以前に決定している資質を見極める採用活動をするのが正しい」と結論づけている。
(中略)
この会社をもっと知りたいという思い。そして採用担当者(人生のちょっとだけの先輩)にやりこめられた興奮。それが異質への始まりだろうか。
さらには採用活動のなかで、なるべく「内定」という言葉を使わないようにしているのも大きな特徴である。「採用とは、会社が応募者の能力を判定して合否の判断をする行為ではなく、応募者に会社が選ばれるように会社の全エネルギーを投入して対話することである」と考えるからである。「あなたの感覚であなたが会社を決めなさい」。
さてこの採用過程で、リクルートの風土に強く感応してくるタイプと、さほどでもなく様子見の人たちと、一部むしろ嫌気が差す学生とに分かれるようだ。先に書いた木村との議論は従って「感応するタイプを見極める」ということでもある。
ともあれこうして自分が選んだ会社としてリクルートに入社してくる時には、能力という資質の他社との差ではなく、会社に対する思い入れの差が生じている。わずかにではあるが。
(中略)
明確に示せるのは「採用は全社を挙げてのイベントである」という考え方と、「自己実現への思いが強い彼や彼女にその気になって入社してもらうために全力投入する」という行為があるという事実なのかもしれない。
『暗い奴は暗く生きろ』
- 著者
- 生嶋 誠士郎
- 出版社
- 新風舎/22世紀アート
- 出版年
- 2007年