かつての部下に仕えることを、いささかも不名誉と考えなかったローマ人 生嶋 誠士郎

これは塩野七生さんの『マキアヴェッリ語録』(新潮文庫)からの知識。その項の冒頭部分を引用する。

「古代のローマ人は、名誉を尊ぶ気持ちが非常に強い民族だったが、それでもなお、かつての 部下に命令される立場になっても、不名誉なこととは少しも考えなかった。高位にあった者が それ以下の任務を与えられると恥と思われている現代(16世紀)では、想像も出来ない現象で ある。」(政略論)

古代ローマ人にとっての不名誉は、己の信義とか市民としての義務といった問題の中にこそ 存在していたのであろうか。

ともあれローマ人のその心のあり様に嬉しくなり、一方で16世紀には「そうではなかった」 ことを知り、そして現在に思いをいたす。

年功序列が崩れ、能力主義が台頭したこともあって、現在では「かつての部下に仕える」局面も多くなる。そんな状況へ向けての次の会話をする。

「経験豊かな部下を持つ新任上司は幸せだ。くったくなく補佐できる先輩と、その気概を受け て気力を奮い立たせる後輩上司。そういう関係。16世紀にすでに難しかったその関係。ローマ とリクルート、同じRをいただくものとして、その関係が出来ればなー。あの憧れの開放性の ささやかな後継者になれるのだが……」

かつての部下に仕える……ささやかな意地が邪魔をして素直にはなれない我ら。かつての部 下のアドバイザーになる……これなら出来るのか。

難しいことではあるが、みんなで突破しなければならない課題だ。出来れば言葉のすり替え でなく精神のあり様としての転換。とりわけ超高齢化社会を目前にした我ら日本において喫緊 の課題だ。あちこちに 「気概の先達」 が現れるのを切に願うものである。

『暗い奴は暗く生きろ』

著者
生嶋 誠士郎
出版社
新風舎/22世紀アート
出版年
2007年